山中伸弥教授のノーベル賞受賞講演

こんにちは。

山中教授のノーベル賞受賞式の様子がニュースになっていました。
どのニュースも山中教授のいい顔写真が一緒なので、つい記事にしたくなりました。

色々と見ていたら、山中教授の受賞講演の記事があったので転載しておきます。
いやあ、序盤の言葉からして印象深いです。映画やドラマのように映像が浮かびます。


〈ノーベル生理学・医学賞の発表前日にあたる10月7日、カロリンスカ研究所のハリエット・ウォールバーグ―ヘンリクソン所長に京都で会った。私も参加した集まりの議長をしていた。終了後、「さようなら」と言うと彼女がウインクしたように感じた。その時は不確かだったが、いまは本当だったと確信している。


この講演を聞いていた人は、みんな映画のシーンのような情景を思い浮かべていたのではないでしょうか。

少し長いのですが、日経ウェブから記事全文を転載します。
お時間のあるときに読んでみて下さい。特に塾生には読んでおいてもらいたいかな…。

「iPS細胞技術、患者のもとに」 山中教授講演詳報

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【ストックホルム=安藤淳】2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞する山中伸弥・京都大学教授の7日夕(日本時間の同深夜)の記念講演は、カロリンスカ研究所に集まった数百人の聴衆を魅了した。講堂はあふれかえり、大型スクリーンを据え付けた隣の講義室も満杯。最後はスタンディング・オベーションが起こった。主な内容を紹介する。

ノーベル生理学・医学賞の発表前日にあたる10月7日、カロリンスカ研究所のハリエット・ウォールバーグ―ヘンリクソン所長に京都で会った。私も参加した集まりの議長をしていた。終了後、「さようなら」と言うと彼女がウインクしたように感じた。その時は不確かだったが、いまは本当だったと確信している。

 今回、ジョン・ガードン卿と共同受賞できたことをとても光栄に思う。ガードン卿こそが、細胞核の初期化を着想した。私が生まれた頃に彼が出した成果なしに、この場に私がいることは決してなかっただろう。ジョン、ありがとう。

 まず、若い科学者だったころの話をしたい。私は2つの意味で極めて幸運に恵まれた。1つはまったく予想していなかった研究結果に出くわしたおかげで、まったく新しい研究に取り組めたこと。もう1つは、2人の偉大な恩師のもとで学べたことだ。

 私は最初、整形外科医を目指したが、まったく適していないと自覚した。同時に、どんなに才能のある外科医でも治せない病気やけががあるのを学んだ。そこで、外科医から科学者へ転向した。

 大阪市立大学の大学院では血圧制御を研究した。指導教官の三浦克之先生の仮説に基づき、ある物質を犬に投与した時に血圧は下がらないことを示す実験をした。外科医失格の自分に向いた簡単な実験だったが、予想に反し血圧は大きく下がった。興奮して三浦先生に結果を伝えると、彼も興奮してくれた。この現象のメカニズム解明が学位論文につながった。

 その後、ポスドクとして米サンフランシスコのグラッドストーン心臓血管病研究所で指導教官のイネラリティ博士のもとで研究した。彼はコレステロール値を下げるのに重要とされる「APOBEC1」遺伝子に強い関心を持っていた。この遺伝子を肝臓で発現させるとコレステロール値が下がると仮説を立て、動脈硬化症の治療に使えるのではないかと考えていた。

 そこで、肝臓でAPOBEC1を過剰に働かせたマウスを使い、この仮説を証明するよう指示を受けた。日夜懸命に取り組み、ある日の朝、マウスの世話をしていた技官が駆け込んできた。「多くの雄のマウスが妊娠している」という。混乱しながらも調べてみると、妊娠ではなく巨大な肝臓がんができていた。予想もしない結果だった。

 APOBEC1は強力な発がん遺伝子で、治療に使うどころではないことがわかった。イネラリティ博士はがっかりしながらも、この遺伝子の研究を続けるように言った。私は心臓血管病研究所で肝臓がんを研究する唯一の研究者となったが、イネラリティ博士が研究継続を促してくれたのをとても感謝している。

 私には2通りの偉大な指導教官がいた。1つは三浦先生やイネラリティ博士のように、自身の仮説に反する研究でも進めるよう言ってくれた本当の先生。もう1つは予想だにしない結果を突きつけた自然そのものだ。それが、まったく新しいプロジェクトへと私を導いた。2人のように優れた指導教官でありたい。とても難しいが、ベストを尽くすしかない。


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iPS細胞の研究は、肝臓がんの意外な実験結果からスタートした。原因を調べるうちに、「NAT1」という新しい遺伝子を見つけた。APOBEC1を過剰に働かせたマウスの発がんを引き起こすのがNAT1だった。

NAT1が働かないようにしたノックアウトマウスと、ノックアウト胚性幹細胞(ES細胞)を作ったところ、予想外の結果を得た。NAT1は、ES細胞が様々な細胞に育つ多能性を持つうえで欠かせない遺伝子だったのだ。

 ES細胞は1981年にエバンス、マーティン両博士によって初めてマウスで作られた。ES細胞には「死なない」性質と、多能性という2つの重要な特徴がある。NAT1は多能性に不可欠だとわかり、研究テーマをがんからES細胞に変えるきっかけになった。

 米国で研究を続けたかったが、様々な事情から日本に帰らざるを得なくなった。帰国後、PADに悩んだ。「ポスト・アメリカ・ディプレション」の略だ。米国では素晴らしい時を過ごしたが、日本に戻るとひどいうつ状態になり研究をやめるところだった。幸運なことに、2つの出来事が私を救い出してくれた。

 1つは米ウィスコンシン大学のトムソン博士による、人間のES細胞の作製だ。それまではマウスES細胞を使うしかなく、研究仲間からは「人間の病気に関係した研究をした方がいいよ」とも言われていた。ヒトES細胞があれば欲しいだけ増やしたうえで、神経細胞など様々なヒト細胞に成長させられる。これらの細胞を病気の治療に使える可能性がある。

 2つ目の出来事は1999年、37歳の時に奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持ったことだ。美しいキャンパスに、優れた教官や才能ある大学院生がいた。

 研究室の明確なビジョンと長期目標を定めようと考えた。ES細胞のような幹細胞を、受精卵ではなく患者自身の体細胞から作るという目標を決めた。そうすれば、ES細胞が抱える倫理的な問題を乗り越えられる。

 既に出ていた他の研究者の2つの成果から、これは可能だと考えた。1つ目の流れは、初めてガードン卿が取り組んだ核の初期化だ。彼は体細胞が受精卵のような状態に戻ることを示した。もう1つはワイントローブ博士が示した、ある因子の働きによる細胞の運命の変化だ。

 これらの2つの研究の流れから、体細胞を初期化できる因子があるはずで、みつかればES細胞のような細胞を作れると考えた。ただ、因子は1つなのか、10個なのか100個あるのかわからず、見つかるまでに10年、20年、30年、それとももっとかかるのか見当もつかなかった。幸い、実際には6年で見つかった。

 06年、わずか4つの因子をマウスの皮膚細胞に入れるだけで、ES細胞のような幹細胞ができることを示した。これを人工多能性幹細胞(iPS細胞)と名付けた。07年には、同じ4つの因子でヒトiPS細胞も作れることがわかった。

 因子を探す際には、まず候補を24個に絞り込んだ。3人の若手が重要な働きをした。徳澤佳美、一阪朋子の2人は、簡単ながら感度の高い試験法を確立した。高橋和利が最終的に24個から、4個の因子を選び出した。3人の献身的な働きなしには、iPS細胞は作りえなかった。


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最後に、iPS細胞が持つ潜在的な力について話したい。iPS細胞には2つの大きな応用の道がある。1つは新薬開発だ。患者からiPS細胞を作製すれば、病態モデルを作って試験管内で新薬候補を探索できる。もう一つは細胞治療や再生医療につながる応用だ。

新薬開発への応用例として、運動ニューロン(運動神経の細胞)が働かなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)などがある。ヒトではよい病態モデルがなく薬の開発が進んでいない。マウスのモデルを使って開発した薬は悲しいことに、人間では効果がなかった。

 いま、世界中の多くの研究者がALSなどの患者からiPS細胞を作り、大量の運動ニューロンを得るのに成功している。これらは患者と同じ遺伝情報を持つ。患者自身の運動ニューロンを使って、新薬の探索ができるようになった。

 京大の井上治久准教授はALSなど運動ニューロン病の患者と、健康な人のiPS細胞を作った。患者の運動ニューロンは健康な人に比べ、はるかに短くしか伸びないことがわかった。これを利用し、ロボットシステムの力を借りて数千の物質から新薬候補を探している。

 再生医療への応用の話に移ろう。ヒトiPS細胞を好きなだけ増やし、そこから大量のドーパミン産生ニューロン、網膜細胞、心筋細胞などを作れる。そしてパーキンソン病、心筋症、脊髄損傷などの患者の治療に使えるだろう。日本や各国で、研究者はiPS細胞から成長させたこれらの細胞を使った治療の効果と安全性を実証する前臨床試験を進めている。

 12月10日、私はiPS細胞の作製と技術の急速な発展に貢献してきた多くの科学者や研究者を代表してノーベル賞を受賞する。iPS細胞をもとに、新しい科学の流れができはじめている。07年にイェーニッシュ博士はマウスを使い、初めてiPS細胞を使った細胞治療の実現性を示した。09年、デーリー博士らは病気の患者から初めてiPS細胞を作った。

 08年、メルトン博士は生きたマウスで、少数の因子を加えて細胞の運命を直接変えられることを示した。ダイレクト・リプログラミング(直接の初期化)と呼ばれる方法で、多くの研究者が追随している。今年にはグラッドストーン研究所のスリバスタバ博士が、同方法による治療の実現性をマウスで示した。

 非常に近い将来、こうした技術が患者を救うことを強く希望する。ここにあげた研究者の中から、新たなノーベル賞受賞者が誕生するよう期待している。

 2年ほど前に発足した京都大学iPS細胞研究所(CiRA)で働く250人以上の人たち、それに京都大学に感謝したい。07年以来、私はグラッドストーン研究所にも小さな研究室を持っている。才能ある人たちばかりで、4~6週間に1度はグラッドストーンを訪れており、そのたびに私の科学研究が活性化されると感じている。

 今日は妻や娘を始め、家族も来てくれている。母もストックホルムにいるが、「おまえの英語はひどいから聞いてもわからないだろう」と言ってここには来なかった。科学者はストレスも多く、家族の助けなしに今日という日はなかった。

 父は25年前に、そして義父も今年、死去した。2人が一緒に、どこかで今この瞬間を楽しんでくれていればと思う。父が私を医学の世界にいざない、医師だった義父は医師とはどのようなものかを教えてくれた。

 iPS細胞技術を患者のもとに届けたい。両方の父に将来、会う前に是非実現したい。(スウェーデン語で)ありがとうございました。

(転載終了)

講演の中で〈明確なビジョンと長期目標を定めようと考えた〉とあるとおり、
これと定めて、そのことに一生懸命になると、道は開かれるのでしょうね。

何もこれは研究のことだけではないと思います。
これを読んでくれている塾生、卒業生は、各自の今やらなければならないことに当てはめて考えてみてください。

とはいっても、ここまで読んでくれているかどうか分かりませんがね…(笑)
ありがとうございました。

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